子供の頃
昭和55年(1980年)3月17日 東村山市に生まれる。
核家族、マンション育ち、一人っ子。地域コミュニティとの繋がりの薄い、典型的な「現代っ子」でした。男の子勝りのわんぱく娘。子供の頃からいままで埼玉西武ライオンズのファンです。小学生のときは6年間、器械体操を習っていました。飛んだり跳ねたりは得意でしたが、舞うのは苦手…今でも。ピアノも習っていましたが、あまりのめり込めませんでした。音楽が関係するものは、残念ながら昔から得意ではないような気がします。
中学生
塾には行かなかったものの、中学受験して練馬区内の中学校に通うことに。軟式テニス部に所属し、元気な日々を過ごしました。得意な科目は理科と数学。将来は理系の研究者になりたいと、漠然と考えるようになりました。しかし、2年生の後半から徐々にうつ状態に。日に日にふさぎ込むようになっていきました。
高校生
勉強も進まぬまま何とか受験を終わらせましたが、うつはひどくなるばかり。学校へ行けない日々が続きました。行けたとしても、出席日数のため「ただ通うだけ」。勉強も部活もほとんど何も出来ないまま、泣きながらなんとか卒業しました。
浪人時代
いったん勉強や進学のことを忘れて、アルバイトで多くのことを体験し、多くの人に出会い、「人生の実地研修」をしました。比較的のんびりした日々を送り、しだいに元気な自分を取り戻しました。ただ、将来自分が何をすべきかわからず、とにかく本を読み、悩んだことも事実。そのことは間違いなく今の自分に繋がっています。
大学生
紆余曲折を経て心理学科を選び進学。同じ学科の友人を中心としたサークルを作り、気付けば代表も任されました。その一方でESS(英語研究会)で英語スピーチの勉強もしました。2・3年次では、学内の成績優秀者が対象となる奨学金の給付を受けることもできました。(この奨学金で初めてパソコンを購入!パソコン好きの原点となったのです。)3年次、大学の制度で別の奨学金の給付を受け、1年間イギリスに留学。このとき初めて日本という国のすばらしさに気付きました。留学中に近隣の国に旅行したことがきっかけで、旅行好きにもなりました。
大学院生
実験・研究を繰り返す日々を過ごしました。一方で、社会では「博士あまり」が問題になっていて、同期の仲間と将来について悩み、語り合い続けました。もともとは博士後期過程への進学を考えていたものの、博士前期過程2年の後半で、進学を保留し、一旦社会に出ることを決意。それからは就職活動をすることもなく、修士論文の執筆に注力しました。夜中まで研究室にいることもあり、大学の近くでひとり暮らしを始めました。6畳、風呂なし。多くの仲間に助けられました。
フリーター時代
進学への迷いを抱えたまま、ひとまずフリーターとして生活。仲間から悩みや今後の人生について相談されることもしばしばでした。周りの、新卒で就職できなかったり、就職後に身体を壊して退職し、フリーターにならざるを得なかった人たちの不安をいつも聞いていました。一方、自分に限っては「何とかなるさ」と思っていました。今思うと恐ろしい。
そして、これからも変わらずリラックスしたいときは…
旅行、街歩き、食べ歩き。スポーツ観戦(特に野球と格闘技)
野球は埼玉西武ライオンズ!
今はとくに応援している選手はいませんが、格闘技はK-1が好きです。
大切にしていることは情報発信と共有。
メールマガジン制作は、職歴の一部でもありますが得意としている情報発信方法です!
前田あきニュースも月刊で発信してまいりますので、ぜひご一読ください。【月刊】アッキーNEWS ▶
今も変わらず好きな食べ物
甘いもの。さぬきうどん。肉。
旅は新しい気づきがあり、これからも続けたいと思っています!
初めての海外旅行先での中国では、万里の長城で観光バスに放置されたにもかかわらず、思った以上に「落ち着いていた」自分に驚き、体験ダイビングを経験したオーストラリア ケアンズでは海ガメに歓迎を受け、ダイビングのとりこになりました。ダイビングのライセンスは将来必ずとりたいと思っています。そして、ポルトガル リスボンで言葉の通じないおじさんにどこから来た?と聞かれ(多分、そう聞かれたのだと信じています。シナ?ハポン?というところだけ分かった)ハポンと答えたら熱烈な歓迎を受けました。たとえ、言葉が通じなくとも、創造力で旅は楽しくなることを再確認しました。旅は新しい場所、出会い、そして一人旅ならではの自分との対話。旅は学びの場になり、明日へ